師の背中 | 築紡|根來宏典

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2020年2月12日(水)

師の背中

2019年11月11日、師・古市徹雄先生が亡くなりました。業界的に大きなショックだったかと思います。享年71歳。それから3か月経ちました。どう感情に表してよいか分からず、言葉にならなかったのですが、少し書き留めておきたいと思います。

 

心にぽっかりと穴が空いた感じで過ぎて行く日々。師と過ごした時間が走馬灯のように蘇ってきます。『風・光・水・地・神のデザインー世界の風土に叡智を求めて』は、師が著された書籍。2004年3月30日に彰国社より発行。あとがきに「本書を書き始めたのはもう10年前のことである」と記されています。私が師の元に飛び込んだのが1995年4月1日。私が独立したのは2004年4月1日。奇遇にも、その間と重なっています。前にもこのブログで触れているのですが、私は師のスライド(旅後の写真整理)係。ゆえに本書の出版は、私もこころから嬉しかったです。スライド係のことに触れた『師と、無礼な弟子』の話は、コチラ≫

 

本書は、師の元に独立の挨拶をしに行った際に下さったもの。「独立おめでとう!」の添え書きが嬉しかった。「君がいた間に動いていたプロジェクトは、全て君の担当として実績にしてよいから。全てのプロジェクトに関わったんだから」と背中も押してくれました。独立はゼロからのスタート。実績として使わせてもらえるというのは、これほど嬉しいことはありません。小規模なアトリエ事務所ゆえ、全てのプロジェクトに大なり小なり関わりましたが、それを真に受けては、それぞれの担当者に失礼ですし、師も私のことを、そんなことはしない人間と分かっていたから言ったんだと思います。そのお言葉だけで、どれだけ勇気づけられたことか。

 

発表されている掲載誌に私の名が記されているのは、花巻市総合体育館、北会津村役場庁舎、古市邸(両親の家)、ハイテクプラザ会津若松技術支援センター、六花亭真駒内ホール、姶良総合運動公園体育館といったところ。この内、現場監理を担当した北会津村、古市邸、ハイテクプラザ会津若松は、実質的な私の担当物件といえます。

 

師との思い出を探し、写真を漁ってみたのですが、師の写ったものがありませんでした。一緒にいる時は、師の背中を追いかけていくので精一杯だったのだと思います。発する言葉は、隈なく聞き逃してはならないので、写真など撮っている場合ではなかったのだと思います。ご機嫌取りができなかったワタクシメ。師との打ち合わせは、常に真剣勝負。多忙な日々を過ごす師。課題や曖昧さを残さないよう、神経を研ぎ澄まして臨んでいました。

 

会津の2件は、私が常駐監理した物件。師が現場に来る時は、ホテルに送り迎えするわけですが、朝食に誘ってくれます。仕事人間な師は、普段は仕事の話しかしないのですが、食事時はしない。同時に栃木でも現場が動いていたので、その送り迎えも私の役目。塩原~南会津にかけての山々の景色、その新緑や紅葉に心和ませながら、何度ドライブしたことか。食事とドライブの時、師はご機嫌で、穏やかさを見せるひと時でした。

 

師のことを「どんな人だったの?」と聞かれます。一言でいうと”喜怒哀楽”の感情が豊かな人。スタッフから見ると厳しい人ですが、喜哀楽も真っ直ぐにぶつけてくる人間味溢れる人。だからこそ多くの人に愛される人だったのだと思います。私は師にどれほど近づけるのであろうか。その背中は遠い。いや大きい。