
左右対称な二棟、左が1932年に建てられた本館、右が1934年に建てられた新館。
建設当時は6階建て。現在の7階部分は増築であり、元々はペントハウス、共同洗濯場、談話室が置かれていたのだとか。『旧銀座アパートメント』と呼ばれ、当時は屈指の高級アパートメントとして、その名を馳せたそうです。
設計は「同潤会」の設計部長・川元良一氏。
こちらは民間のアパートメントなのですが、同潤会アパートメント同様に共同浴場や洗濯場を備えていたそうで、全ての同潤会アパートメントの姿なき今、関東大震災復興期の先進事例として残る貴重な存在なのです。

表面に引っ掻き溝を付けた無釉のタイルで昭和初期に流行したもの。
新旧建物の袖壁の間には、2本の竪樋が仲良く配置された丁寧なデザイン。その雨水は砂利敷の桝に集水し、太い一本のパイプにまとめられて道路に排水されます。

新旧2棟の建物が対称的に別々に建てられているので、階段室が隣接する形式に。
新旧の各フロアの廊下は違和感なく繋がっているので、不思議な感じもしますが、
それがかえって立体迷路のようで楽しい空間になっています。

上がりたい好奇心に駆られる設えではありますが、立入禁止です。

入口の扉を自由に変えているようで、それぞれが個性的。
電気メーターなんかもレトロで、その剥き出し感が雰囲気に合っています。

その上にはドライフラワーを飾り付ける工夫が見られ、
入居者の方々の建物への愛情とセンスの良さを感じます。

1932年の竣工後、間もなく一人の女性が入居し、美容室を開業したお部屋。
昭和60年代に廃業したものの、その後も住居として住み続け、
2009年100歳を迎えた直後に他界されたのだそうです。
その美容室の面影を残そうと、有志が関わり合い、
維持しながら非営利活動する取り組みが進められているそうです。

変電室と書かれていますが、、、
奥の部屋や、階段下の空間は、ギャラリーとして活用されておりました。
ちなみに共同浴場は、ボイラー室とともに、この地下に作られていたのだそうです。
上から下まで、昭和初期の息遣いを感じる建築が、
ここには毅然と残っているのでありました。

