最後の一等地 | 築紡|根來宏典

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2019年10月8日(火)

最後の一等地

築地市場が移転し、一年が経ちました。閉幕のお話は、コチラ≫

 

写真は跡地の現在。今後は東京五輪・パラリンピックの車両基地となり、その後は再開発を進め、国際会議場・展示場を中心に、おもてなしゾーン、交流促進ゾーン、水辺の顔づくりゾーン、ゲートゾーンの計画、2040年代の完成を目指すと東京都から発表されています。またインフラ面では、秋葉原や銀座から築地を抜け、国際展示場、さらには羽田空港まで直結する地下鉄新線計画もあるそうです。MICE(マイス)という言葉を使っていますが、企業会議(Meeting)、企業等が実施する報奨・研修旅行(Incentive)、国際機関・団体、学会等が行う会議(Convention)、展示会・見本市/イベント(Exhibition/Event)の頭文字。多くの集客交流が見込めるビジネスイベントの総称とのこと。カジノを含めた統合型リゾート施設(IR)の誘致を見据えているというのは本当だろうか?世界的な類似例に見ると、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ、マカオのザ・ヴェネチアン・マカオですかね。

 

築地市場跡地は『最後の一等地』と呼ばれる場所。

築地は魚河岸で知られていますが、それ以前は明治2年(1869)に東京開市に合わせて設けられた外国人居留地。

商館の多い横浜や神戸とは異なり、公使館や領事館が置かれ、宣教師、医師、教師などの知識人が多かったのが特徴。

文明開化の街であり、医学をはじめ西洋学問の蘭学の始まりの地でもあるのです。

そういった意味でも、個人的には歴史や文化を重んじ、地に足の着いた未来を描いてもらいたいと思っています。