
信長の実弟であり、茶の数寄大名の中でも一目おかれた織田有楽斎(1547-1622)。その有楽斎の隠居所が、京都にある建仁寺塔頭正伝院であり、茶室『如庵(国宝)』はそこに作られた彼晩年の作。
如庵とその露地および正伝院書院は、3度の移築がなされております。まず明治41年に京都から東京都麻布へ、昭和13年に神奈川県大磯へ、その後に昭和45年に愛知県犬山市へ移築され現在に至ります。
こちらの写真は『岩栖門』。有楽苑の額を前に、期待と緊張が高まります。門の向こうには『旧正伝院書院(重要文化財)』、如庵と同時期に建てられたそうです。

茶室は二畳半台目。床脇の壁を斜めにし、鱗板(三角形の板)を敷いているのが特徴。茶道口一つで給仕口が兼ねられているため、給仕をしやすくする工夫であり、かつ空間が広く感じられます。手前座側の二つの窓の外には、竹が詰め打ちになっており「有楽窓」と呼ばれます。間隔を詰めた竹の間から光が木洩れ、虹色のような陰影が障子に映り込む。美しい。

三畳台目の「小間」は奥に深い間取りで、手前座の奥に床の間を設けた「亭主床」。
亭主床は西芳寺湘南亭や慈光院茶室でも見られますが、こちらの方が先だそうです。
移築に当たっての実行委員長を務めたのが建築家・堀口捨巳氏(1895-1984)。
有楽苑の建物配置や外構には、堀口氏の趣向も盛り込まれているようです。
玉石の小端立ては、荒波を表現しているのでしょうか、、、躍動感があって美しい。




