賞「審査はどうあるべきか/どんな価値を生み出すか」 | 築紡|根來宏典

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2012年11月19日(月)

賞「審査はどうあるべきか/どんな価値を生み出すか」


先日『神奈川県建築コンクール住宅部門優秀賞祝賀座談会』に御呼ばれし、参加してきました。

好意にしているお二人の建築家・岸本和彦さんと井上玄さんが受賞。
そのお祝いに合わせて開催された座談会。
テーマは「審査はどうあるべきか/どんな価値を生み出すか」。

パネリストは岸本さん、井上さんに加え、
本コンクールの審査員である建築家・室伏次郎さんと宮晶子さん。
参加者は、会場の広さの関係もあるでしょうが30名程、
岸本さん、井上さんの同年代や、その下の年代が中心です。

時間の関係もあり、「審査はどうあるべきか」に終始してしまった、物足りなさはありましたが、
楽しく、有意義な時間を過ごしました。
機会があれば、このメンバーで、後の「どんな価値を生み出すか」を語り合えればと思います。

少しだけ、私見を書いておきます。

建築の賞の有り方を問う議論をあちこちで耳にします。
その議論の根底は、賞は取ったらお終い(審査される側)、与えたらお終い(審査する側)、
つまり社会全体でその成果を共有できていない状況にあるのではないでしょうか。

一般の人から見れば、賞を獲っているから凄い建築家という認識に止まっており、
その建築家がどう凄いのかを理解・共有で出来ていないと思われます。

建築の総合的評価(完成度や前衛性)は、建築の専門家による高度な評価軸が必要ですが、
ある反面、一般市民には理解しがたい状況を作り出しているのは止むを得ない事実です。
そいったことを問い直さないと、文化レベル的な発展性はないと感じています。

本来、賞というのは、建築家の箔を付けるのが目的ではなく、文化の継承だと思うのです。
では、その文化とは何か?ですが、一般市民による意識の総体とするならば、
受賞した建築の存在意味が伝わらなければ、本来の目的は達成しえませんね。

少し話は変わりますが、落選した作品にも多様な価値、可能性を秘めいること。
建築は、場所性や、施主要望、予算などが異なる訳ですから、一評価軸では比較できない。
例えば、構造的に素晴らしい建物と、設備的に素晴らしい建物とを一緒に評価できませんよね。
果物で言うと、リンゴとバナナはどちらが美味しいで賞と言われても???ですよね。
だからこそ、そう言った概念を超越する普遍性を問う審査となる訳ですが、
その話になると、専門家レベルの話になってしまい、一般市民は蚊帳の外になってしまう。

もっと一般市民をも巻き込み、受賞(評価)の意味を伝え、
一般人レベルから住文化を高めれると良いなと思うのです。

と、生意気なことを書いてしまいましたが、「じゃお前は何してるんだよ」と言われそうです。
確かに遠吠えは幾らでも叩けます。
建築家とは、自身が主体となって、社会をより良い方向に変えていく存在です。

只今、賞のあり方を見直すことにより、一般人レベルから住文化を高める試みを始めています。
微細かもしれないが多様な価値観を評価し合い、それを見える化し、情報公開することです。
一般建築とは異なり、住宅は一般市民に身近な存在であるがゆえ、
住宅だからこそ出来る賞の有り方を見けられそうです。

詳しくは、明日のブログをお楽しみに。

根來宏典