根來宏典建築研究所

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2019年5月10日(金)

四君子苑

茶室・数寄屋建築研究の第一人者である故・中村昌生(1927-2018)先生が、霞中庵や對龍山荘らとともに京数寄屋名邸十撰として挙げている建築を見学してきました。中村先生のお話は、コチラでも。

 

高野川と鴨川が合流して直ぐの西岸。古くから宮家や摂家が競って別荘を営んだ京都きっての景勝地。その一角、600坪の土地に建つのが、昭和の数寄者・北村謹次郎(1904-1991)の旧邸『四君子苑』。国の登録有形文化財にも登録されています。建築を手掛けたのは明治から大正きっての工匠・北村捨次郎(1894-1985)。戦時下だからこそ手に入った銘木中の銘木をふんだんに使い、仕事に飢えていた大工、左官、指物師ら職人技術の粋を結集して建てられたそうです。昭和19年に完成した数寄屋ですが、母屋は築後すぐに進駐軍に接収・改造されてしまいました。その後、母屋は昭和38年に数寄屋建築を独自に近代化した建築家・吉田五十八(1894-1974)の設計によって、当時の斬新な試みを取り入れつつ、RC造平屋建てで建て替えられました。お庭は俵屋旅館やMOMAの庭園も手掛けた鬼才庭師・佐野越守によるもの。

 

母屋と共存する昭和19年当時の設えに心が揺さぶられます。寄付、鎖の間、立礼席、土間、渡り廊下、外腰掛、小間「珍散蓮」、広間「看大」、、、それらと一体となった露地やお庭、そこに配された石造美術品の数々。ため息と感動の連続。特に二畳台目中板入の茶室「珍散蓮」の構成は秀逸。貴人口は池に張り出した吹き放しの広縁。そこに掛けられた障子は垂れ下がり、足元を透かした様相は孤篷庵「忘筌」を彷彿させます。その障子の足元には遣水が流れ、なんとも風流なこと!前庭の稲穂垣、奥庭に畳まれた鴨川の真黒石、遣り水底の深紅に輝く春日部石の美しかったこと!

 

自由に見て回り、好きなだけ佇んでいられる幸せな時間で御座いました。