立礼の席 | 築紡|根來宏典

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2019年2月8日(金)

立礼の席

さてさて最後の5つ目、といいますか最大の目的は、茶室「富士見亭」の見学。

 

こちらも通常は非公開なのですが、見学する機会に恵まれました。

入母屋の屋根、低く抑えられた軒先、繊細でエッジが効いた様相が美しい。

昭和32年(1957)、慶太翁発案、藤森明豊と中村雄造が設計・製作した茶室。

 

 

 

 

 

 

 

 

一歩中に足を踏み入れると、外からは思いもよらぬ空間が広がっています。

こちらは立礼の席。履物を履いたまま腰掛ける茶室。

主人は畳に正座、客人は椅子に座り、卓を挟んで目線の高さが同じになる構成。

奈良の西大寺山門に使われていた古材を用いる等、素材にも意を凝らしています。

 

入口を入って、正面に床の間、左手に飾り棚、右手に茶道口を臨めます。

お点前は畳敷、長四畳半の西側窓寄りに隅炉を切ってあり、

外の景色を背景にお点前の様子を見ることが出来ます。

 

そのまま正面から入るかと思いきや、左手裏に回ります。最終的な客人の入口は、左手奥。客席の上に障子を設けているのは、その動線に自然光を取り入れるため。

 

 

こちらは、その裏手の動線を見返した様子。腰待合になっております。

障子からは程よい明かりが差し、座面はナグリ。

 

腰掛待合は、通常は露地に別棟として設けられますが、

このように茶室と一体化し、内部に露地を取り込んでいるところが、

機能的かつユニークであり、近代における新しい発想かと思います。

 

立礼の成り立ちには諸説ありますが、

座礼に替わる呈茶としての作法が行われるようになったのは、

明治5年(1872)の第一回京都博覧会の際。外国人客をもてなす新しい工夫であり、

裏千家十一代の玄々斎(1810-1877)考案によるものだとか。

 

その後の席としては、昭和26年の新日本茶道展で試みた堀口捨巳の「美似居」と、

谷口吉郎の「木石舎」、昭和28年の裏千家家元の「又新(ゆうしん)」といった

立礼の席が上げられるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

客人入口から見た様子。客座は主人を囲むようにL型になっております。西に面した大きな開口部からは、富士山や丹沢の山々(現在はタワーマンション)を望むことができたそうです。麓には多摩川が流れ、国分寺崖線から見る都内随一の眺望。

 

窓の大きさもさることながら、引き分けになっており、

2枚の窓が左右の壁面に引き込まれる設え。ゆえに4枚の窓が視界から無くなるので、

季節の良い時には爽快な茶事の風景になるろうかと思います。

 

立礼というと古典的な考えからみると亜流かもしれませんが、茶事の流れやおもてなしの心(設え)は、現代の住まいにも通じるところ。こちらの茶室はプロポーション的にも現代の住宅スケールとマッチするところであり、それを体感でき感動。