茶室の近代化 | 築紡|根來宏典

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2019年2月7日(木)

茶室の近代化

4つ目の目的は「古径楼」の見学。通常は非公開です。

 

明治39年(1906)、台湾総督や逓信省総務長官を務めた田健治郎が台湾檜で建造した茶室。大正10年の皇太子(後の昭和天皇)行啓を機に、十二畳半の間、八畳の間、庭側の広縁など現状に近い姿に改修され、田の没後、慶太翁が所有されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

十二畳半の間と繋がる庭側に設けられた広縁の様子。

暖かい陽射しが差し込み、居心地の良い空間。

正面に設けられた書院の障子に映る木陰は、一枚の絵のようで美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは田から譲り受けた古径楼に、後から慶太翁が増築した小間「松寿庵」。

こちらも通常は非公開です。竣工は昭和15年(1940)。

南面には躙り口、西面には貴人口が設けられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは貴人口から内部を見た様子。正面に手前座、床の間は躙り口正面。

床前(写真左手)にもう一枚畳が敷かれた四畳台目隅板の席。

床前の畳一枚は正客が座る貴人座と呼ばれ、

間取り、畳の敷き方からも貴人を招くために作られた茶室であることが分ります。

 

このようなL字型の間取りは、江戸時代初期に武家屋敷で流行したもの。

奈良にある古田織部作と伝えられる八窓庵でも見られ、

小堀遠州もこの形式を受け継いで多くの茶室を作っているそうです。

 

躙り口の上に設けられた連子窓が、柱を挟んで部屋の端から端まで、

敷居、鴨居とも段差なく繋がることによって水平線が強調されています。

遠州好みの席を参考にしているそうで、

近代的な明るく開放感ある空間に翻案したものと思われます。

 

古典的な茶室を見ることに興味はそそられますが、

このように正統を継承しつつ近代的に作られた茶室を見て、

その流れを知ることは、現代の住宅設計に通じることであり、

実践への道標として学ぶことが多い。