正岡子規の旧居『子規庵』が台東区根岸にあります。
明治27年に移り住み、明治35年に他界。その後も母と妹が守り続けた住まい。
昭和20年に空襲で焼失したそうですが、昭和25年にほぼ当時のまま再建されたもの。
こちらは子規の書斎であり、病臥しながら文学の近代化に尽くした6帖の和室。
友人の夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹らも、この家を訪れたそうです。
座机の一部は、不自由だった左膝を立てたまま入れるために切り欠かれています。
窓の向こうには、たわわに実った糸瓜(へちま)の棚。糸瓜の句三句を絶筆として、生涯を終えたそうです。子規が見た景色が、今なおここに残っておりました。