数寄屋と暮らしの近代化 | 築紡|根來宏典

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2018年4月9日(月)

数寄屋と暮らしの近代化

大正から昭和初期にかけて、多くの文士や芸術家が集まっていた地域。

 

現在の新宿区落合なのですが、かつては『落合文士村』と呼ばれ、

最盛期には、70名ほどの文士が暮らしていたのだとか。

ちなみに文士村というのは、他にも田端、阿佐ヶ谷、馬込などにもあったようです。

 

その中に『林芙美子(1903-1951)』がいます。

多くの文士は、後に落合を離れていくことになるのですが、

林芙美子は『放浪記』がベストセラーとなり、

それで得た資金を元手に、ここ落合に土地を手に入れ、家を建てていました。

 

落合を歩いていると、異彩を放つ一角があります。

そう、それが「旧・林芙美子邸」。1941年に建てられた住宅で、

芙美子が38歳から生涯を閉じる48歳まで暮らしてた住まい。

 

建物の設計は、日本におけるモダニズム建築の先駆者である

山口文象(1902-1978)なのですが、数寄屋建築にも卓越していたようです。

 

気持ち良い季節になったので、散歩ついでに、お邪魔してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

芙美子名義の「生活棟」と、

内縁の夫・手塚緑敏(画家)名義の「アトリエ棟」とを別々に建て、

勝手口や土間を繋ぎ、棟と棟の間は中庭として一体に使っています。

当時は戦時体制下にあり、建坪100㎡以下という制限があったからです。

 

建坪100㎡制限に対する工夫が見られる住宅に、

建築家・前川國男の自邸があります。前川邸のお話は、コチラ≫

前川邸は洋風の住宅なのに対し、林芙美子邸は和風となっており、

同時代、ともにモダニズムを目指す建築家の設計でありつつも、

住まいに対する世界観の違いが表れた対照的な事例だと思います。

 

 

芙美子の書斎は、アトリエ棟にあります。

躙り口のような低い障子の部屋の奥に電気スタンドが見えます。

雪見障子に面した芙美子の机。ここで執筆に没頭していたのだそうです。

 

「文象による数寄屋づくりの細やかさと、芙美子らしい民家風のおおらかさを併せ持ち」と案内されているのですが、モダニズムを感じる住宅です。

 

これは数寄屋に通じるモダニズムの意匠性のこともあるのですが、

暮らしの近代化という意味では、モダニズムの要素は自ずと生活に入ってきており、

それらをさり気なく調和させている、山口文象の設計力に魅了されました。