有楽苑 @秋の遠足2017 その5 | 築紡|根來宏典

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2017年11月17日(金)

有楽苑 @秋の遠足2017 その5

岐阜県多治見市を後にし向かったのは、愛知県犬山市にある『有楽苑』。

 

信長の実弟であり、茶の数寄大名の中でも一目おかれた織田有楽斎(1547-1622)。その有楽斎の隠居所が、京都にある建仁寺塔頭正伝院であり、茶室『如庵(国宝)』はそこに作られた彼晩年の作。

如庵とその露地および正伝院書院は、3度の移築がなされております。まず明治41年に京都から東京都麻布へ、昭和13年に神奈川県大磯へ、その後に昭和45年に愛知県犬山市へ移築され現在に至ります。

 

こちらの写真は『岩栖門』。有楽苑の額を前に、期待と緊張が高まります。門の向こうには『旧正伝院書院(重要文化財)』、如庵と同時期に建てられたそうです。

 

 

内部の公開は限定されているのですが、今回は如庵と書院を抹茶と解説付きで特別見学させてもらいました。如庵の正面外観。躙口は正面に見せず、左手袖壁に向かって開けられています。国宝の茶室は、如庵、利休作の待庵(京都)、遠州好みの密庵席(京都)の3つのみということで、この如庵がいかに史上屈指の存在なことか分かります。

 

茶室は二畳半台目。床脇の壁を斜めにし、鱗板(三角形の板)を敷いているのが特徴。茶道口一つで給仕口が兼ねられているため、給仕をしやすくする工夫であり、かつ空間が広く感じられます。手前座側の二つの窓の外には、竹が詰め打ちになっており「有楽窓」と呼ばれます。間隔を詰めた竹の間から光が木洩れ、虹色のような陰影が障子に映り込む。美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苑内には、同じく有楽斎作の茶室『元庵』も構えられております。
三畳台目の「小間」は奥に深い間取りで、手前座の奥に床の間を設けた「亭主床」。
亭主床は西芳寺湘南亭や慈光院茶室でも見られますが、こちらの方が先だそうです。

 

移築に当たっての実行委員長を務めたのが建築家・堀口捨巳氏(1895-1984)。
有楽苑の建物配置や外構には、堀口氏の趣向も盛り込まれているようです。
玉石の小端立ては、荒波を表現しているのでしょうか、、、躍動感があって美しい。